極寒です( ;∀;)
暑いよりは寒い方が良いけれど、
いきなりの冷え込みに何を着ていいのかわかりません。
今日は一日PC作業。
配送分を投函しに外に出かけ、ふらりと根津へ散歩してきました。
オーストラリアから帰省する仲間がいるので、忘年会を兼ねた店舗探しへ。
一応お店は決まっていて、外観をチェックしてきました。
美味しそうなお店が大通りの裏手に沢山あります。
街並みも素敵で、家の作りや寺の作りなんか古風です。
骨董屋さんで打ち出の小槌を買いました(笑)
陶器でできていて可愛かった💛
今は水洗い中です。
帰宅してからは着物の整理を。
母のお下がりですが、母は一切着物には興味がなかったみたいです。
書道の先生並みの腕はあるんですよ(笑)
お祖母ちゃんちには、
母の書道の大きな作品が欄間に飾られていました。
小さい頃、母の達筆が大嫌いでした。
文字で叱られている感が強くあって(笑)
もう本当にハリケーンのような母親だったので(笑)
よく連絡帳とかは父に頼んでいました。
(父は字が下手だったので断れる)
お爺ちゃんは、刺繍と瓶の中に入っている船を小から特大まで飾って居たり(笑)
当時流行って居たんだろうなと。
父方の方は茶道と華道だったので、
そういった点で着物はお祖母ちゃんが作ってくれていたようです。
片付けながら、亡くなった祖母達の背景が観えてきます。
今生きている側のわたしは、亡くなったお祖母ちゃんの面影を。
当時生きていたお祖母ちゃんは、まだ姿無きわたしの影を観る。
鏡合せというか、ロマンチックというかせつないというか(笑)
こうやって同じ生身の世界に共存していなくとも、
何かを通して呼び起される想いと言うのがあります。
そう想うと、
お互い生きているんだなと想えた瞬間でした。
大慈に手渡されたモノは、
何かの記録保存されていて手に取った瞬間、
バーコードのスキャンのようにデータを読み始める。
観るは読む。
生存は影によって支えられているという感覚です。
父方のお祖母ちゃんが母にあげたものらしい。
母と言うよりは、お祖母ちゃんはまだ居ないわたしの影を観ていたのかな!
と想うチョイス。
着物にしてもわたしに似合う柄が多い。
帰省した時、母と着物を選びながら母もそう言っていました。