完成にむけてと書いてしまったけど、
エネルギー体の自覚に向けてと書いた方が良いのかもしれない。
境界線を知覚して往くと、様々な代謝が起こる。
知覚するという事だけで、
想いだしたりする事や自身のエネルギー値みたいなのが発見できる。
手動するところの創造と、オートマチック領域の創造と、
連結部分の溝がスムーズになるようだった。
夢を散策する時、この部分がある程度あると、
夢の自覚が始まるのかなと想います。
夢の中では動くチカラが違うので、身体だけがメインと想ってしまうと一丸となっている観えないエネルギー体の流れ、身体に入って来る情報と、
身体から出て往く情報とか察知しやすい。
先日、Eさんから「最近夢を観なくなったの」と言われ、
話そうとしたら別のヒトからも話され頓挫していた。
それを想いだした(笑)
夢は覚えていないだけで、動いて居る。
人間的な部分で深いところに入ると、
夢を覚えていなかったりテーマが一つに絞られるくらい、
情報は濃くて少ないように想う。
夢の見方もいろいろあるなと想います。
夢も人生の一部で、それを通して日常の見え方が変わったりする。
夢は大慈だ!とは言わないけれど、夢の中で自分を客観視する事もできる。
違う目線になったり、自分が180度他人という事もできる。
死(未来)と想定した時に、死の世界から生(現在)として観えた時、健気に生きてるなと想える事もある。
わからないなりに必死に考えて居たり、空気読もうとしていたり(笑)
考えたり、気を使ったり、ああだろう、こうだろうと小さな配慮を出したりひっこめたりしていたりする生き方は、なんともキュートな動作に観えてしまう事もある。
天空の城ラピュタで、ロボットがお墓に花を持ってゆくシーンがある。
あれってどこか夢の空間と似ていて、
人間ってあんな観じだよな・とジンとする事があった(笑)
俯瞰で観ると、いで立ちは違っても行為はジンとする。
各々の夢の位置が少し安定すると、世の中の観え方もまた変化する。
自分という媒体の味わい方も変化する。
エネルギー体の知覚は、自分と反対が均等に成るといいらしい。
常に自分と反対は双子。
それぞれに双子。あっちとそっちは双子で現実と夢も双子。
三つ子、四つ子はそれらの派生なのかな。
(同時に存在するという意味で、魂の双子とか言っているのではないのですー)
久々に一句(笑)
羽織増え
季節をしらす
オリオン座
おそまつですー(笑)