昨日は夕方からの仕事前に、
ふつふつと嬉しさが込み上げ、
星野コーヒーで星野ブレンドを飲みながらずっと商品を眺めていた(笑)
初めてガンダムを観た時の事を想いだしたり、衝撃的なシーンや感動シーン。
胸に込み上げて来た「めぐり逢い」を堪えながら(笑)仕事に迎えました。
我が家に来て下さった方は、某スピリチュアル系雑誌の元ライターさんだった。
現在はフリーのライターさん。
セッション後インタビューみたいになり、わたしの回想録へ。
数々のチャネラーと呼ばれる人だったり、
ヒーラーと呼ばれている人だったりの話を記事にしていたみたい。
そういった方々とはやはり、わたしはタイプが違って居るようだった。
その方曰く、「ヒーラー、チャネラーに属さないアーティスですね」と。
「話を伺って居ると、全部の記憶を纏めて想いだしているような雰囲気に観えます」と言われた。
その表現方法も凄いな~と想って、
わたしもなんだか嬉しくなりました(笑)
ある程度一定化されたスピリチュアル概念とは、
別のスタイルで表現して往くアーティストだって❤
質問を受けながら、
生れた時に集約されて往く記憶の集積場(身体含むエネルギー体)が世の中に生み出されてきた、誕生した時を想いだしていた。
なぜ、チャネリングとかヒーラーと言わないのですか?
と尋ねられ、「あまりピンとこないのと、癒しが必要ともやっぱり想って居ないタイプで」「本当にそういった癒し手奉仕の方は居られるから、そこを想うとちっとも根底がわたしは違うんです」と言った。
いろいろと質問を受けながら、
わたしのボヤケタ感覚にメリハリがついてきたように想いました(笑)
チャネラーとかヒーラーとか称さないければ、なんという肩書で活動なされているんですか?と聞かれ、肩書をもっていないのでわかりやすく「カウンセラー」として書いていますと言うと、「今日の流れを通してカウンセラーとはまた違うと想います」と苦笑。
どーしよう~!肩書がないです!!
本当に肩書がないと仕事にならないか、というとそうでもないだろうけど。
ひとつくらい有したいです!!(≧▽≦)
お互いで語り合いながら、どんな感覚で仕事をしているかと尋ねられ。
仕事の事を想いだして往くと、「混乱した情報、癒着した情報を乖離していったり、チューニングしながら情報に風を通して整頓して往くような感覚です」
「チューニング!そうですね!!チューニングはぴったりです!」と歓んでくれた。
急に観えるようになるとか、幼い頃から大変だっただろうと言われるけど、
わたしはあんまり大変ではなかったように想う(個人的に)
怒られたり、叩かれたりしても、それよりも好奇心の方がやたら強かったので、
授業中だろうが冒険に出てしまって居たんですね。
学校に親を呼ばれても、反省するという事が当時はなかったように想います。
先生と親、父と母をどことなく生まれる前のわたしが観ている感覚で眺めていて、
身体はこの世に誕生しているのに、
もうひとりのわたしがまだこの世に誕生していない気分。
身体と創造が一致していない、まだ身体に馴染んでいない。
そういった事がリアリティーに欠けていた状態だったのかもしれません。
生身の味わい方がわからなかったんだと、今ではわかります。
自分以外の誰かがいっぱい居る。
そして、そのいっぱいの誰かにもそれぞれの人生とそれぞれの時間がある。
とても謎だったんです。
共有したモノが実は一切なくて、共有しているように想えてはいるけど、
重なってない不思議。
今では、個別の時間概念や人生観を味わいながら、
自他共に共有世界を創造していっているように想って居ます。
ただ、親は大変だったです(笑)
特に母親はわたしの事を、未知との遭遇といわんばかりに度肝抜いていたので(笑)
ただ母親もどことなく似ています(笑)
母は嫌がりますけど。
いろいろとSさんのお陰で、また自分を楽しもうと想えました。
各々の人生を堪能して往く、例外を受け入れる。
例に習った生き方は、ある程度の地球的生き方のマナーであって、
その法則性と一緒に心中しなくていい。
そういった法則を受け入れてから、我が道を堪能生て往く事が、なんとなくですが、
自分に帰還するという観じでおります。
時々こういった具合で聞かれると、
自分の中の当たり前、ナチュラル化されていた事に観察力があたり、
意識の明確化が強まります。
知覚力の把握、現状の把握、わたしの観察畑に磨きがかかったように想います。
Sさん。
ありがとう御座いました!!
わたしの観察と体験は続きます。