不思議な事に今日は、この上下絵が夢に出てきました。
昔々勤務していたヴィンテージショップのオーナーが、この上下絵を復刻してプルオーバーを作ったと見せていたのです。
で、わたしがそれどこかに本物が売って居ましたよ。と社長に言うと「どこで?いくらだった?この柄はなかなか手に入らない、買うから教えて!!」と。
夢の中でどこで観たかを想い巡らせながら、想いだしたところで目が覚めました。
起きぬけに(笑)「そう、博物館で観たから買えないですね」と夢の続き。
長崎のワークショップで、Kさんが「しおりちゃんが人格や性格の事をお面」と言っていたというのを想いだし、珈琲飲みながらPCの画像フォルダー開けたら、この上下絵に目が点。
この画像なんて何年前に観たんだよ(笑)と。
不思議なモノで記憶の中に残っているんですね。
夢の介錯としては、人格、性格とともに博物館クラス。
天地ひっくり返っても同じ顔のお面を所有してても、
その下に眠る本体の顔が表へ出ない。
このまま直訳のようになってしまったけど(笑)
上下いったりきたりしている内に、
このお面もプロペラの様になって飛んでいくかもしれません。
飛んで行ったら新しいお面を探すかもしれないけど、
そこはあえて下はどうなっていたんだろう?
と、覗いてみる好奇心が新しい新芽を芽吹かせるかもしれません。
なまの顔が出て来る。
人格、性格をいつまでも操作させるのではなく、
自身の所有物ではなかった事を改めて自覚する。
その時代を生き貫く為に編み出した性質、戦術が人格と性格。
その配下にあるのが個性みたいなものなのかな。
本体の出番を無くすのか。
そんなイメージがこの上下絵から言われたようでした(笑)
人生は芸術で、生きるまねのまんまでは、
また「生きた」というのを味わうために輪廻する。
今までの性質が破裂するような感覚が続いていて、
久々に凄く生きる事をイメージするというよりは、考えるという行為が強まっている。
考察、志向、指向の考えるという観じ。
志向の底にある制限された領域が稼働する事で、
バージョンの違いが顕れてきそうだなと想って居ます。
続くDNAアクティベーションの結果でしょうか。
なんか身体の鎖(DNA)が新しいウネリを生み出しているようでもあり、
違う路線を走り始めたようでもありまする。
胎を据える。
人生を引き取る(笑)
それには肉体、身体という器の事も大慈に作り始めないと、という具合です。