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音叉チューニング/5月のテーマ -

 

♯フォースの起動

 

こんにちは!
先日お伺いしましたSです。
 
先日は音叉ヒーリングありがとうございました。
あの後から、なんとも不思議な気の持ちように。
 
今まで何もやる気にもならず、朝起きて目覚め直後に
なんのために生きているのかね・・」という言葉を胸に布団にくるまっていた日々。
ご飯も作る気も、テレビも音楽も映画も観る気も起こらず
ただただ「こんなんで良いわけない・・」とは思うものの、
悶々と時間を漂っていただけでした。
 
仕事柄、映像を観る。
見てもどうにも気乗りがせず、義務感ばかりで面白みを感じない。
為になるだとうと購入した本も、さっぱり。
心からやりたいことも見つからず、気休めに何かに手を付けても心ここに在らず。
「あっち」も「こっち」も気になって目の前に集中できない。
そんな日々がここ1〜2年続いていたように思います。
 
 
でもあのセッションの次の日から、
キッチンでご飯を作る楽しさ、ネットで映画を観る楽しさ、
本屋で読みたいと思える本に出会える楽しさ・・・。
そういった感覚が戻ってきたのです。
今までつかえていたモノがサラリと流され、
自由に動けるようになっている自分に驚きました。
 
あぁ、私こういうのが好きだったんだ。
 
そう思える自分を噛み締めながら自分を味わえるようになりました
意識が戻ってきたとでも言うのでしょうか・・・。
物事の捉え方が変わったというのか・・。
 
 
感じ方、心持ちが全く変わって軽い!軽い!!
自分の中心はしっかりあるけれど、フワフワと。
縮めていた羽をフワァ〜と拡げたような・・
そんな1週間でした。
はぁ〜。うれしいです。
 
ありがとうございます!
 
 
ブログで拝見しました。「蘭」行かれたのですね。
出演者とお仕事でお世話になっているのですが、
「バリバリ時代劇みたいなカッコしてるパンフだけど、全然あんなんじゃないんすよ」と、
先月言ってました・・・笑
 
私は昨日、仕事でコントライブに。
自分がこういう世界に居るのも不思議だな・・
今まで大いに感じていた違和感も何だかどうでもよくなってきた感じです。
何か吹っ切れたのか、許すことができたのか・・。
 
しばらく内観しつつ、やりたいと思うことに手を伸ばしてしようと思います。
ありがとうございました!
 
取り急ぎ、ご報告まで。
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Sさん。
ありがとう御座いました!
 
良かったです!日常に戻れる感覚。
自身の世界観や、自分の感受性、創作性の基点とか、
理屈めいたものがはっきりすると、日常の鮮度が上がってきます。
同じ毎日でも、原点が観えたり、
原点に帰還する事を想いだせると日常の読み込み方、
味わい方が一段と深まってくる。
先日書いた「鶴と亀」のように、後ろの正面だぁ~れ🎵の潜んでいた自分自身と出遭って来ているんでしょうね!
 
「わたしは人間だ」という教え込まれた生き方や形態を鵜呑みにしたままだと、
必ずいつかどこかで不完全な感動を吐き出したくなり、
身動きが取れない時期が起こってしまう。
 
何を人間って言っているんだろう。
ボディープランの事を言っているのなら、それは違うように想っていました。
「人間だから」という考え方。
制限があって、食べ物を食べなければ死んでしまって、
酸素を吸わないと死んでしまって、陸の上で生きて、身長は大きくても2メートルくらいで。男と女が居て、成人したら社会にはいって老人になるまで働いて往くという大まかなストーリー。
様々な思想の制限の中で見繕って往く生き方。
ボディープランは一緒でも、
そのような制限を知りながら手探りながら生きておられる方も居る。
好みが標準と違って居たり、世界を観る角度が違って居たり。
好奇心は各々が見繕って来たSpecなので、たぶんそんなに被る事はない。
ジャンルは被っていても、どれもまったく同じような系統で好奇心を発動していない。
 
好奇心は個性で、個性のお陰で世界の味わい方が違ってくる。
お隣さんの個性をまねたり、借りてみていても仮の自分を作って往くだけですもんね。
 
真似から入る事もあると想いますが、
どちらにしてもベースの個性が出てしまう。
 
どんなに真似しても、本当はそんなに好きでもなければ、
憧れてもいませんというベースが真似れば真似るほど本音しか漏れてこない。
 
どんなに普通の人間だと想い込んでも、バレてしまう感性ってありますよね。
きっとそんな感性の事を宇宙人と呼んでいるのかな。と想います。
 
岡本太郎の生きてるだけで告白だ。という名言があります。
どんなに普通だと取り繕っても、生きて来た人物像はベースが漏れている(笑)
 
以前、来て下さった方で赤毛のアンのような女子がいらっしゃいました。
一見可愛いんですね。
髪も渡辺直美ちゃんみたいに七色カラーになって、おさげをしていて。
ファッションも昔のクラッシックスタイル。
 
一見、自由奔放で個性際立つのですが、心のなかや思考回路が不自由で苦しくって、
せめて廻りからは自由奔放にしている女の子として観られたいという願望の塊でした。
話せば話すほど悲しいくらい不自由。
一生懸命表層を作ってしまうんですね。
自分と意識がどんどん離れてしまい、
自分がどこに居るのかも既に観えていませんでした。
 
社会や世間が決めた価値に合わせすぎて、人間の幅の世界に取り込まれたよう。
自由って何だろうと想った時に、今までできなかった事が出来るようになったり、今まで許せなかった事が赦せるようになったり、
聞けなかった話が聞けるようになったりする時、自由になったなと想います。
 
どんな事も観れるようになった時。
 
悲しいニュースは観ない。
偽りのポジティブ。
そしてなぜそうするのかを尋ねると、波動が下がるからという話も。
波動って落ちるんだ。と想った事がありました。
 
波動、周波数って選ぶんじゃないの?と。
周波数に飲み込まれてしまったり、
同化してしまったらそのものになるんだろうと想って居ました。
ぜったいに在るんですよ。
鈍い波動とか、でもそうやって成り立って居る自然界があります。
自分がどこに居るか、居たいかは絶対に自分で決める。
 
そうやっていかないと、個人の人生は誰かの人生にキャスティングされる。
そんな方も居ると想います。
別に自分の人生は主人公でなくてもイイと。
でも脇役でも軸のある脇役は、もう既に主人化しています。
 
住人の居る脇役、自分の舞台は自分である程度見積もって往く。
人事を尽くして天命を待つみたいな精神は大慈ですね。
常にお任せは、やってきた人達の中で動き始める。
何も考えず、運が良いの!
アピールはどこかで片付けなければならない流れになるんです。
短い人生ですが、そんな話も経験もいくらかあります(笑)
 
条件は皆一緒。
 
自分がどんな感性で、どんな世界観に興味をもって、
どんな事で感動に震えて生きている事の発見ができたか。
 
観えている世界と、裏に廻って観えない世界と並行にして往く。
観えない世界も常に動いて居て、表層の結果論ばかりに囚われてしまうと、
観えない世界(脳の奥の創造の世界)の揺らぎが外に顕れにくい。
 
人間は恐らく小さな歓びで生きている。
大きな歓びって何だろうと想った時に、
それを味わえる土台(自分自身)で在る事が一番大きい。
 
原点を想いだす事は自由を知る一歩。
 
宇宙図書館に言って居た時によく観た言葉、聞いた言葉。
 
汝自身で在れ、汝自身を知れ。
 
この言葉は自分自身の発見に繋がる。
 
みんな自分を発見して往く旅の中に居て、
記憶の落とし物を拾いながら生きていて。
 
ちゃんと何時かの自分も統合させながら生き続けている。
 
簡単な事なんだと想うけど、
それを深く味わえるようになるには生命の経験値を上げて往く事なんだろうと想います。
 
どこに価値をおくか。
どこの価値を大慈にしているのか。
 
自分自身の歩む人生の価値は、誰の人生とも同じではない。
誰もが同じ生き方なら本当に地球上に70憶人要るのかと想う。
地球にひとりでいいもんね。
 
自分自身の地球圏を、そしてその主になる為の道程。
免許制ではないけれど(笑)、主になるには自分の事をもっと知って可能性を拡げて往く事なんだろうなと想います。
 
感想の返信を書こうと想ったけど、流れが変になりました。
すんません。
 
長くなりましたので、このあたりで失礼します。

 


天人の音楽Ⅰ ファミコン風

 

先日テレビつけたらやっていましたね。

懐かしく検索したらありました。ファミコン風。

感動大な仕上がり。感動して涙出ます(笑)