今日は珍しいというか、本当に不思議な問い合わせが3件。
同じキーワードでキマシタ。
「22を超えてゆけ」について。
戴いた3件の方々は棲んでいる地域も年齢もバラバラ。
同じ日に同じキーワードで連絡くるって、なんか確実性、
決断意識みたいなのが上がってきますね(笑)
わたしは前回のブログに書いたように、
タイトルと目次を観たら読んで気になるタイプ。
さらっと目を通して、読み込んで往くというのをあまりしていないので、
どの本に何が書かれていたかとかあまりわかっていません。
速読という観じもないけど、パラパラと捲って全体を見通して、
ひかっかたところで立ち止まって読んでいます。
ただ始めて本屋さんで「22を超えてゆけ」をみつけた時に、このタイトルが3
Dみたいになって「般若心経」と読めてしまいました。
不思議な観え方だったので、
手に取って中身を観ると全部の文字が幾何学だったんですね。
見開きで1000文字あったら、1000の幾何学が載っている状態でした。
あれ?どのモードだったっけ?と幾何学を追って往く中で、
本のモードに慣れてきたら、日本語に戻って行った事をよく覚えています。
この本は一回目を通してから、改めて再び読み込んだ本でした。
読んでみてわかったのがゼロポントという事だったので、
3D化した般若心経の意味に合点がいきました。
超えて往くモノよ、往くモノよ
カタチをもつこともできれば変える事もできる
わたしとはこの身でありながら、身もこころにも自分という実態がないのだ
なくなることもなければ増えることもない
いろいろな解釈本がありますね。
経典というのは面白いです。
未だに残る本とか、御伽噺とかもそうですけど、
あらゆる時代に対応し得る内容というのは、
時代と時代の間を超えて往く耐久性があっての事ですね。
生と死から離れてなくて、
日常からも自分という観察点からも離れてない。
ゼロという集合点は、プラスもマイナスも上も下も含まれている。
改めて今日来た3件の質問に、
なんだかリアリティーを観じた次第であります。
全体的に22を超えているというリアリティー。
そして思考も意識も身体も新しく、
時代に応じた対応に仕上がって往くのだろうと想いました。
新しい生き方に馴染んで往くまで、暫くは確認作業は続くと想いますが、
ここからは丁寧に自身のアンテナと向かい合いながら歩みを深めて下さいませ💙