この間、
過去と現在と未来の合流点、接点を構築している夢を観ました。
場所は回転扉内。
90度直角に回転扉を押すと、通り過ぎたところへ。
想い出アルバムみたいなところから、育てるモノをピックアップ。
また90度直角に押すと未知という界隈に往き、電源を繋ぐような行為を。
未来界隈は大きな点と小さなドットで白と黒。
肉眼では物質空間という感触は受けませんでした。
まだONしてないところね。という点で誂えたページ。
重くもなく軽くもなく、カーテンのようなヒダヒダ、スケスケ世界。
結局何と何を結ぶかははわたしが選んでいて(笑)
ちゃんと箱詰めしていた。
何を詰めているのかはわからないんだけど、
未来界隈に行って直結させた事で中身を想いだすようだった。
夢の中で時間軸みたいなのを行ったり来たりしながら、
こうやってせっせとやっていたな~と遠い記憶を想いだしながら、
小さな人生を学んでいる。
過去と未来を直結させたり、現在に撒く過去を再びみつけたり。
行ったり来たりしている自分を遠くで見護りながら、
このジグザグ運動は人生で初めて観た宇宙船の動き方だな~と、
地上で生活をしている過去のわたしを想いだしていた。
何分割にもなっている時間の層。
どこの層に居座っている自分を観つけるか。
拾いこぼした自分(笑)
拾いこぼしを回収して、
更に現在に踏み込むと決意が固まると気弱な自分も顔出す。
生まれて初めて人生というのは「究極の世界」なんだなと恐れおののいた!
忌み嫌う恐怖ではなくて、このおののきといのは適当に生きる選択をしてきた自分と、
クリエーターとしての自分、観察者としての自分(定義上自分と書いています)
遊びの部分と本気の部分と真剣な部分とが一個にまとまるというか、
ひとところに全てが合成、重なり始めると全身全霊の条件が外側にも揃い始める。
常に覚者であるという、ある意味謙虚な生き方としての人生の運び方、知り方、
構築の仕方みたいな全責任がひとところに集まって来る。
逃げようがないんですね、
こんなに人間は夢を観ながらあらゆる世界と共存していたり、
夢を作りだしてしていると知ってしまうと。
不思議と睡眠から起きると、その事はじわじわと夢の世界に畳まれていってしまう。
あらゆる世界から分離しているという錯覚を保持しながら、
24時間で区分けされた世界に生きようとしている。
なんてよくできた世界なんだろうと、他人事のように想ってしまうけど。
ヒトの新陳代謝という仕組みは、
ミクロとマクロの交換やどこの時間とも切り離されていない事を教えてくれる。
こんなSpec。凄いですよね。
もっと奇跡や魔法,奇遇に偶然は起こっていいですね。
起こせますね。
そんな馬力搭載済みなんです。人体って。
そんな創造力でしか稼働できてなかった。
もっと人生、身体世界を信じて観て自分の人生や人体に乗っかってみようと想います。
とてもへんてこなブログだけど。
このへんで終わります。