今日は一卵性双生児というイメージテーマが降りてきました(笑)
画像的に言うと、生卵が綺麗に真ん中から割れて、
生卵の白身と黄身がデータとして降ってくるような感触です。
意味はわからないけど、それも聖なる二分法という事のようでした。
内と外の二分法。
わたしと外側(各々の)は、一卵性双生児として常に交換し合っている。
意思、意識と物質は等しいという意味だそうです。
昨日のお茶の間会議で、三次元ってなんだ、
五次元以降ってなんだという話になっていたので、
なにかわたしのなかにもひっかかりがあったのかもしれません。
次元の説明ってよくわかりません。
次元という発想がよくわかっていないのかもしれません。
定義上「次元」という単位を使った方が説明しやすいから、
使っていると簡単な観じで想っていました。
spaceopera的に想うのが、視点の問題というか角度の話なのかなと想います。
虫とか、モノとか、意識とか、
感情とかが集まりやすい世界の棲み分けの世界観を次元別にみているのかなと。
チャンネルの選択肢が増えるような、モードの違い。
それが増えたからといって、一次元が無くなる事もなく、
モノの世界がなくなるでもない。
認識の共存力というか、どの次元もあるけどこからそれを認識しているかと、
観ているかとか。
一個の卵を観ているのか、一個の卵がどのように生まれたのかとか、
一個の卵の背景を含めて観ているのか、一個の卵の背景とそれに続いて往く経過も含まれているのかとか。
ただ一個の単体のみで終わらない、
観察力の育成に励みたいものです(笑)