テレビをつけたら倉本聰さんのインタビューが出てきた。
「人生はアップで観れば悲劇だけど、ロングでみたら喜劇だ」という。
人生というキャパが何か様変わりしてっている。
概念が変わってきているというか、もう前々からそうなんだろうけど。
具体性を帯びてきたように想います。
このひとつの人生は中継地点。
最近の夢はいろいろとヒトが出てくる。
幼馴染や、ここ二年くらいで知り合った方や友人。
夢の中でダイハード的なシーンと出くわしながら、
現状と方向性を訓練しているようだ。
アスレチックのように人間的概念や法則を無重力空間で、必死に訓練している。
障害はないのに、障害を想定しながらだから、ちょっと滑稽だし、
パントマイムや無声映画のようなシーンが続いた。
無声映画だから役者はジェスチャーで表現しうったえてくる。
10人居たとしたら、
そのジェスチャーの受け止め方は10∔α(想像が創造を作ってゆくという意味です)
肉体に記録されたモードを、
肉体を整備しているわたしたちが解除してゆく。
時代も流れも、性別もルールも違っているから。
身体世界の抽象度をあげてゆけ。ですね。
これ十字架を背負っているのか、背負い投げしているのか。
背負ってから背負い投げが正解か!?(笑)
背負うって言っても、
かするくらいで人体に悪影響が及ぶまで背負う必要もなく。
これわたしのじゃないんで、お返ししますと所定の位置に届けるか。
終わらすか。
十字架ではないタイプで、タケコプター系ってありますか?と聞くのもありですよね。
なくてもイイですよ。
丸腰で進んでいくのもサバイバル力高まりますし、知恵や本能が発揮しやすいです。