今日は久しぶりの柴又へ。
急遽思い立って行って参りました。
びっくりするぐらいの吸引力だったので、
そこのルートに乗るまでの磁力が。
おなかペコペコだったんだけど、そのまま帝釈天へ。
けっこう熱心に意を宣べてきました。
(お財布みたら23円(笑)、
23円を賽銭箱に入れて後はお札場でお守りを購入してお賽銭と化す)
携帯も忘れてきていたので、
帝釈天とか庚申というのがまったくわらかず家で調べる事に。
※庚申の漢字も読めませんでした💚
なんと庚申(こうしん)は更新なのだそうです( ゚Д゚)⚡⚡
そして「末尾7」という夢の知らせも重なって、不思議な23日となりました。
庚申は干支の57番目だそうです。
動きながら世界を変えてゆく数の並び。
今日のわたしもそんなモードでした。
いつもの買い物コースへと行動が移り始めたときに、
「あ!!柴又いきたいっつ!」という行きたい場所が想い浮かんできた。
ちょっと破裂したモードにも似てました(笑)
じっとしていても炙り出せない事があります。
素直に従ってみると、
本当にすべてのモノは自分を次に繋げる暗号に観えてきます。
解くか解かぬか。
それは各々の現状を見出そうとか、現在に出現させてみようとか、
そういった好奇心への引き金となる。
帝釈天の帰りには中央図書館へ。
エレベーター上がってゆく際に「あ、これ今日みてた夢だ」と気が付く。
「そして23番に立ち寄るんだよね」と想いながら、
23番コーナーに立ち寄ってみると「多言語」というコーナーだった。
また更に奥に進んでゆくと身体がピタリと止まってしまい、
ふと見上げると「夢の本/J・L・ボルヘス」という方の本だった。
わたしの今生のひとつの目的というのは「夢の解釈」というテーマがある。
これも集合意識と絡んだもので人類と創造がブレンドして、
濁となったか清となったか、これに絡まったままか脱出したか。
過去の残骸や未来の残骸を観る一つのモニターでもある。
また図書館内を進んでゆくと「ブッダデータ」という本があった。
最近ブッダというキーワードが幾つか重なったので、
一先ず本を開いてみると四字熟語がズラリ。
どこにもブッダという文字が出てこないから、本を閉じてタイトルを見直してみると「ブックデータ」という四字熟語の辞典だった(笑)
ブッダと言えば王族から娑婆に出て、さとりという境地を世に知らしめた方。
出家とかそういったキーワードで、
わたしたちも地球という場所に身体を着て出家してきている。
守られた空間から違う空間へと移行してゆく時が、
初めて生まれるという感覚に近いのかもしれない。
地球年齢ゼロ歳が生れはじめで終わっているのではなくて、
随時更新しながら生まれなおしている。
生まれなおす瞬間に「さっき」までは粉砕。
まるで追っかけながら再生しているようだ。
そんなことに想い耽りながら、
家にたどり着き帝釈天のホームページを観てみると、
なんと!
帝釈天はブッダの教えを聞くまでは阿修羅と戦っていた荒ぶる神だったそうだ。
人類の記憶の中に宿るブッダデータ。
人類の中に潜む荒ぶる神データ。
ブッダはひとの子で、荒ぶる神は神の子で、
ひとの子の話で神が鎮まるなんで面白いですよね。
不思議な23空間でした。
パッと見、バーバーリーチェックな寅さん御守。