savepoint2021の確認メールがちょっとづつ来ています!
ありがとう!!!
来年分も頑張ってみようと想いますのでもう暫くお待ちください!
この間、久しぶりに神楽坂へ。
わたしが上京して一番最初に勤務した場所なので、なんとも思い出深い雰囲気のある場所です。
そこでティエーラさんという踊り手さんの舞台があったので初鑑賞。
踊りの舞台というのを初めて観たので、自分の中にあった「踊りの舞台」「踊りの音楽」という想いこみが一掃されたようでもありました。
2時間だったけどあっという間に終わった印象で、音楽も踊りも素敵だった。
言葉じゃないところで表現してるから凄く知覚を刺激されたようでもありました。
ジャスチャーとかパントマイムって面白いですもんね。
無いのに有る設定で進行してって、そうしたらなんか有るように観えてきたり(笑)
踊りの舞台もなんか、自分がどこかのシーンに入ったような気にもなっていたり。
表現の世界って都合がわからない事ってありますよね(笑)
都合っていうか、理屈とか超えたところで共鳴しているような感覚。
音楽もむかしハマって聞いていたモノが流れてて、その時によく脳内というか現実ではない感覚のところで白装束の画像がちらちらでてきていて。
かれこれ12,3年昔と想うんですけど10年かな。そのくらいの画像。
それが今回のティエーラさんの舞台と同じだったので、あれ?久しぶりになんか無が有になったな、と想いました。(物質化してなかった画像がこの世で、肉眼でキャッチできたという意味です。)
だから時間というか辻褄が合わない感覚って、寝かせる時期が必要だったり、ある程度イメージ画像を出し続けていかないと固まらない現実化ってあるんだなと想いだした次第です。
場が固まらないというか、現実という受け皿が揃わないというか。
これがどういった意味があるか、というと特に意味はなく、ただ10数年かけて孵したモノがあるんだろうなと想ったのです。
だから結論的に、世の中の常識も不思議で構成されていて、各々の価値観も規則的に成立しているわけではなくて、突然条件が揃ってイメージが現実で孵る。
答えはそれらを創る背景や関係、条件によってどれが孵るかはわからない。
そんな場所を現場という。そんな具合です(笑)
ワの字大好きっていい(≧▽≦)
高校生の時、同級生に似顔絵を描いてと言われて描いていた。
数学の先生がそれを観て、僕も描いてほしいと言われたので描こうとしたら顔がよくわからなくて(笑)「も」という字を書いて渡したら、けっこうポイントをついていたみたいで生徒からは高評価、先生は絶句。
それからその数学の先生のあだ名は「も」でした(笑)