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昔のプロジェクター。
幼少期のわたしは恐らくこんな観じ。
このガラスの台に、
透明なフィルムに描かれているイラストを何枚もセットした状態でした。
だから斜め上を歩いている子供みたいな小人とか、何時の時代かわからない兜姿のヒトとか。
かといって幽霊とかではないんです。
交差しているという観じ。
いろいろな時代と、いろいろな場所の時間が同時に重なったという感触。
それは一個、一点の場所で重なり合っている。
昔みたアメリカドラマで、
そんな事をやっているシーンがあり、想いだしたのを想いだしています。
新築の家に引っ越したのに、玄関を開けると違う家になっていたり。
一度閉じて開いたら、宇宙空間になっていたり。
いろいろな時空間を垣間見ているという回でした。
わたしたちはどこにも向かわない。
なんとなく、わたしも思い当たる節がありました。
ズレてないんですけど、ずれているように捉えてしまったり。
時代に合わせて思考を調整しているので、
少しでもタイムスリップしてしまうと迷子のような気分になっていました。
夢もそんな観じ。
夢の世界にいろいろな出演者が出て来るけど、
わたし事態のプロジェクターの上にフィルムが重なりあった状態で、
混線している事もありました。
混線して初めて不要なモノがみつかります。
一点のところから様々な時代を選別し、現在の身体を顕在化させている。
選んでいないだけで実は、今でも歴史はそのまま放映されていたり。
これは意思の強さでもあって、同じようなイメージ画像、創造力の着地点というか似たようなタイプがずっと電気信号を保っていて、今でもこの時代を生み続けているように想っていた事もありました。
だから、ちょっと違うけど(笑)
公園とか電車に、杖とか腕を組んでじっとしている方を観ると、
あの人がこの公園を放映している主電源ではないか。
この方が念じて電車を走らせているんではないか、電車の幻想の主電源はあれかな?
と想えてしまうのです(笑)
なのでこういった絵画を観ると、
時空間が重なった状態だったのかなと想うのです。
一気に有限と無限の時間がひとところに収まったようだと。
来たとかそういった事ではなくて、どこかとどこかが重なった。
集団イメージ。
本気だとそうなりますよね。
個人的なモノだと幻想止りになるけど、本気の意思が集まって何か一点に重なった時。
人間の記憶にはない未知な空間がドーンと開きそうです。
幻想を超えた画像が智慧という体質へ変化し、
潜在能力に働きかけ、実行に移せるようなエネルギーへと成長して往く。
個人革命を正式に始める。
それは別に攻撃とかではなく、真理とかでもなく、
正解でも不正解でもない、自分の心理についてまともに考えてみるという革命。
ひとりでしかできないですもんね。
自分自身の内部にしっかりと繋がる行為は自分への好意。
韻を踏んでみました(笑)
意識と身体の革命期。
ビシビシきています。