♯TEL個人セッション
昨日は、ありがとうございました!
迷いながらも、勇気を出して決断したことでしたが、 いろいろな恐れや、不安で、
毎日頭の中でぐるぐるしてました。
お話しさせてもらって、心が軽くなりました
また、不安はありますが、不安はあって当然で、そんな中でも、
私の目的が、パートナーとほのぼのと暮らすというのが、 とても意外でした️
ずっと一人だったので、そういう気持ち忘れてました。
もっと女性としの喜びを感じたいなと思い出しました!
ひとつ質問なんですが、人間としての私、 という言葉がでてきましたが、
今回の決断は、 人間としての私の決断ではない?ということだったんでしょうか。
やめたいと思うのは、 人間として地に足がついていないからなのかなと思ったり、
ふと思いだしまして
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Tさん、ありがとう御座いました。
Tさんは長らく勤務していた会社を退社するという話でした。
辞めて大丈夫なのか!?という不安。
辞めるのは地に足が付いて居ないからなのか、とか、続けられないのは意思の弱さなのかとか。本当に辞めて後悔しないかとか。
地に足が付くと辞めるのかもしれません。
仮初の職場に居続ける事で、安心しているかのようなモードに誤魔化してしまう。
一時的な仮初の職場は、自立への過程、道のりなので、
その過程の中で気が付いて往きながら仮初の職場の満期へと到達する。
流れのなか、過程のなかに居続けようとすると、
不安ばかりが募るように想います。
もちろんない方も居るので、一概には言えない。
ただ「いつまでここにいるんだろう」と一抹の不安を抱きながら、
畑違いだなと気が付いた時に切り替える精神力は必須だと想います。
人間意識が強いままだと(条件に支配されている)、
真実味の無い自身を創造し続けてしまう。
自身に問い続けなければ気が付かない事があります。
何時の時代の常識なのか、生き方なのか、
どこかの誰かから教えて貰ったいい言葉とかも、
今本当に自身の栄養源になっているのか。
情報は逐一刷新していった方が、身体も心も楽なんだと想って居ます。
誰かが言ってくれた言葉で、
生き延びたというのがあれば、それが勇気になって活き超えて往くけれど。
仮初の安牌を持ち続けていては、
生身の自分を知らないまま幕を閉じる事もあるでしょう。
不安から仕事に依存してしまうケースと、実態の無い不安を超えて仕事を始めるケースとは味わう世界も、その道のりの鮮度も違う。
仕事をするなと言っているのではなく、
仕事っていうカテゴリーを一緒くたにしてしまうと、
濁ってしまう場所や考え方、意味の持たせ方があります。
わたしをどういきるか。
わたしをどう知って往くか。
そういった事に仕事という場面が出てきたり、趣味という場所がでてきたり。
仕事という人生の中でのオプションに、過度に意味を持たせてしまうと本来の望んでいた世界というのが曇るようにも想います。
それは個々で違うので、これもまた一概には言えないです。
仕事を通して自身を誕生させて往く方も居られますから。
自分はどうなんだろうと、一旦、
他者の造った世界から分離して考えなおす事も大慈ですよね。
長くなってしまいました!!
Tさんありがとう御座いました!!