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音叉チューニング/5月のテーマ -

 

2018年5月は何故か休むことなく、死と生を想わされた日々だった。

その流れの中で、

とってもとっても解明したかった事、完成させたいテーマがあった。

 

それが人間ってそもそも何だろう。という概念とか定義。

生命体としての生き方を示すのか、思想としての人間界なのか、手段的な事なのか。

それをわかったとしても、人間という意味は何なんだろうという事。

 

今日はアニマンダラさんの「生命体とAI」の講座を聞きに行った。

Animandala | 生命進化に見るココロのカタチ・アニマンダラ

 

人間の事を考えてもわからなかったら、

AI側から観たらなんとなく定義が観えたような気がした。

自己と他者があって、肉体という反応を通して理解したり、観察したり、対応したりしている。AIを作るさいも先ず肉体を作ってからパターンを創造して往くような話だったかな(うる覚えすいません💦)

 

肉体無くして、AIの発展はないらしい。

基盤が肉体、原型ですね。

それが元で派生させたモノで、肉体反応に応じた展開。

 

ものすごくかいつまんでしまいますけど、

自己と他者で「こころ」を育むというような話があったように想う。

 

人間ってそういう事だなと。

限界があるとか、制限があるとか、女性とか男性とかそういった観点からの物差しではなくて、一生命体が地上で独立したスタイルで生きる中で、

こころを完成させるというかこころの存在を証明させながら、

こころが温かくなったか、こころが泣いているのか、とか、

こころの発見を各々で成長させたり、温度を上げたり、

こころを通して一生命体を成長させて往く事を目的としたのが人間という生き方なのかなと腑に落ちる事があった。

なるほど。

わたしはこころがあるとは想っていたけど、

それを通して研究してはいなかったかもしれないと。

人間としての成長と、こころの成長と、思考の成長と。

一部分的な話ではなくて、こころは在ると言う事が当然と想っていたけど。

人間という言葉や概念、生き方に注目しすぎていて、

こころと人間というのが別々になっていたのかもしれない。

ここを聞きたかったんだとわかった。

 

あとはアニさんが90年代後半に作った話は、AIの話よりリアリティーを観じてしまい続きを聞きたかったけど、公にするのがもったいないような気もした。

大慈にしなきゃならないお話なのかもしれない。

遊びで終わらせてはならない話。

 

今日の話を通して、誰も住んでいない家や、

サビて乗れない車を観た時に切なくなる事があったのは、

きっとこころを忘れた人間とタブっていたのかもしれない。

乗り手が居ない、住人が居ないハコを想うと切ないですもんね。(勝手な想いですけれどね)

 

わたしが想っていた人間というのは、病気があって誕生日があって、

死ぬのに生きる、二元論で堂々巡りという表面的な事を想っていた。

人間という概念に潜れてなかったんですね。

 

別の観点からずっと眺めていただけなんだな。

 

人間にはこころがあって、こころは誰かと交流したり、何かを目撃したり、

意識の残像を目撃した時にこころはどんな状態に変化しているんだろうとか、

こころといのちは同じ事なのかなと。

肉体といのちは別の事なのかもしれないなとか。

また新たな質問や疑問は勝手に湧いてくるけど(笑)

 

こころを入れている器が肉体で、それらを固めているのが人間意識、人間概念。

 

こころの在り方は肉体環境も変わって往く。

肉体の主電源ですもんね。

脳はまた違った働き方でそういった感情を処理したり、解釈したりする機関で。

そういった働きを纏めたモノが肉体なんですね。と、またズレた観方になっているかもしれないけど。

なんとなくまとまりつつある人間概念です(笑)

 

こうやって書いていて痛感するのは、

本当に基本を知らないんだなと実感している。

 

よく初心に戻るというけど、初心というフロアがどの辺の事を言って居るのかもわかってなかったのかもしれない(笑)

 

人間は二元論もあるけど、不確定なこころを持ったイキモノ。

多層に分かれた情報を潜りながら生きている。

マイナスから無限までを一所で集約している。

 

味が濃い、味が薄いってわかる。凄い。

このソースの中に何が入っているか幾つか言える。凄い。

ドレミファソラシドが聞き分けられる。凄い。

色の見分けがある程度理解できている。凄い。

針に糸を通す。凄い。

憶測を事実化させる。凄い。

 

改めて想うと、普段の活動は感動的な意思の顕れなんだ。

 

わたしがすこしづつ観えて来た💙

 

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