♠SpaceOpera基地局

夢観察師として夢の世界を研究中/夢解き

量産型人間

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今日の夢は本を読んでいるようだった。

まさしくわたしが考えていた事が顕れた夢。

 

この間、タイムカプセルのbirthpointの感想を頂いた。

その中で何度となく聞く言葉や、文字がある。

 

「実際に人間意識が辛くて嫌なんだと思うので、実際、人間ですが、

一生命体としてとらえてゆく」という一文。

 

「実際人間」というキーワード。

 

肉体は肉体で、人間意識は人間意識。

 

肉体の事を人間と呼んでいるのではない。

 

肉体は、例えば海に入るときに着るウェットスーツと同じ類。

 

地球外に出るときに着ている宇宙服と同じ類。

 

それには意識とか概念とかはなくて、

そこに行くにはそれを着用していないと、そこの環境を知れない接続着みたいなモノ。

 

いつしかその接着着を着ているうちに、

そこの低周波の一部として吸収されてって、情報や価値や集団的な価値と同化してしまった生き方が、人間的生き方という概念に変化してしまった。

 

だから、人間とはボディの事でもなんでもなくて、

考え方や選択の仕方、損得勘定や、一定数から超えないつもりで生存し続ける状態の事を言っています。

(これはいろいろな生き方があるので、

特に深い意味を込めていっているのではありません。あくまでも考え方の違いで、センスの違いです。)

 

選択の仕方や生き方、誰を対象にしているのか、

もっと明確に知る事は大事だと思います。

将来を不安に想って人間的概念の生き方をすれば、人間的概念の延長線上に生きる。

 

違う選択肢を選べば、違う延長線上となり、

また今までと違ったランダムな組み合わせとなるようです。

 

選んだ通りになっている。まだまだわたしも45年生。

いまだ予測不可能な中にいるものの、予測を立てたい性分があります。

これは過去の性分です。個人的な性分ではありません。

(親とかお爺ちゃんとかお祖母ちゃんとか、地域の話を小耳に挟んだ時の衝撃から選択を望もうとしている)

 

で、夢の話に戻ります。

 

夢の中でクッキーの生地を見せられます。

クッキーの生地は、人間意識が作り出したDNAだという体でした。

そこにクッキーの型抜きで、生地が抜かれていきます。

量産型はこれだ。という事でした。

なんとも無機質な光景でしたが(笑)なるほど。という具合な流れです。

 

量産型のままでいると、その生地は生地のまま賞味期限/消費期限を迎える。

 

量産型にも産地別のようなモノがある。

シート1とかシート2という観じ(笑)

 

だから例えばシート1が新しい病気を発症すれば、

同じシートで型抜きされたタイプがそれを伝播する。

それを治癒すれば、同じ場所に住んでいなくとも突然治ったり、引いたりする。

生地はいろいろなモノを吸収し、それを元にして生を復元してゆく。

 

こういった夢の光景でした。

 

生地(肉体)は、選んだものを親としている。

情報の親化(笑)

で、人間だから、という概念を「情報の親」として育てれば、

そのまんま人間概念枠で人生をクリエイトしてゆく道のりへスタートする。

 

気が付けば元に戻る。

生地は吸収するから。

新しいモノも吸収し古い情報も新規が増えてゆけば新規になってゆく。

 

余談)

よく毒クラゲが、毒なしのクラゲと住み続けると、

毒がなくなってクラゲになるという話があります。

それと生地は同じような感触です。

余談終了)

 

だから、感性や好奇心が最適なモノを選び続けないといけない。

それが生地に反映し、受け取ったまま目の前の現象を作り出す。

 

で、人間だもの的な枠で収めようとすると、枠ないだけの発展性のない孤立になり、

孤高精神とは違ったベクトルの生きざまになる。

 

人間だから傷つく、人間だから失敗する。

と、いうことをネガティブな価値として引き受けてしまえば、

リアリティは存在しなくなり、それが仮死状態。

かっこつけてなにもしない方がよっぽど汚点で、深いダメージ、記憶喪失化させてゆく。

傷ついたり、ばかにされる事って特にダメージではないです。

ショックはありますが(笑)ショックに浸かってばかりいても飽きますからね。

実は傷ではないという事を知る必要はあると思います。

一定期間は傷として認証してても、経験値を上げたり、

いろんなヒトに出会っていく事で、傷はなにかしらのきっかけになったり、

分岐点になったり、それを通してそれではない生き方を求める。

 

わたしはかなりばかにされて育っているので、小心なところも多分にありますが、

人生が狂ったとは想っていない。

いまの現在地点で言うと、ばかでよかったなと想う事や、

助かったと想う事がいっぱいあったように想う。

 

長文になって最初の文が遠く前世的な感覚になってきているので、

まとまり悪いが(笑)人間というのは肉体を持っているから人間と言っているのではない。という事を長々書いてしまっている☺

 

肉体は地上や人類を知るための接着着で、

どんな情報を選んで肉体に記録し、情報更新してゆくかで肉体の限界は変わってゆき、扱い方も、扱われ方も変わってゆく。

 

リハビリと想って、最適な情報と個人的な価値を作ってゆく。

選んだものをコピーする能力は長けている肉体。

 

何を観るか。

という事と、何を観じてどうそれに対して対処しているか、とか、

どうそれと向き合ってハッチを開いてゆくか。

 

人間的な養分を育成してゆくのは、

個人の仕事になるし、誰のせいでも時代のせいでもない。

 

なまけているけど(笑)

さっきまでの自分とは一味違うぜ。みたいな回数を増やしてゆけば、

新しい自己の誕生につながり、芯のわたしが芽をだしてくる。

それは人間的解釈ではなくて、生命としての誕生で生命視点で観た世界の誕生にもなって、きっと新鮮な事だろうと想う。

 

わたしもそこはリハビリ中。

 

人間をネガティブととらえるセンスのままでいるか、人間って変化ありなんだ、進化ありなんだ、蛹が蝶になるタイプだったんだ。

出世魚みたいにネーミングって変わるんだ。

と想えたらもうすでに人間として生まれた価値が出てきたという事ですよね。

 

本当に長くなったので終わります。

よく寝れそうです(笑)

 

 

 

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