今回の帰省を通して、様々な自分が観えた来た。
自分というか「一個性」
それを取りまとめているのが、自分というシステム(笑)に当たるのかもしれない。
生まれながらにしての謎多き感性と観察感なので、
言われないとわからない事が多々ある。
今回の出遭いを通して、なるほど!
その辺がちょっとずれているのかなと納得ができた。
ずれているのいうのは、ただ観え方や捉え方、味わい方の違いなだけだった。
おそらく自分は一般的とか常識的と想っているタイプもそれは錯覚。
誰もがずれあっているから世界が構築され続けている。
グループ同士でイメージを共有させながら、
密度を上げ安定というか保留というか、そういった状態を作っているんだろう。
変化できるように固まらず、保ちあっている裏方世界。
鹿児島のKさんが「データだから読める」という話をしていた。
集合意識はデータだから読めるけど、
集合意識からずれちゃうとデータではなくなるから読めない。と。
だから奈美さんがわからないと言われた。
個人のわたしとしては普通に暮らしているから、
朝起きて夜中寝るタイプというところを基本にしてみてゆくと多分わかる(笑)
個人として観るとデータになるから読める。
それは地球に御住いの●●さんという情報を頼りに、
そこに集まる情報網を見繕って読んでゆく。
集合意識もグレードがあるというかグラデーションがあるので、
濃いか薄いかという感触があって、そのフロアから検索してゆくという流れ。
帰省していた時に、
言われたことを想いだしながら寝たらめっちゃ会議した夢だった。
生命が読んでいる神という存在をどう説明するか。という会議(笑)
システムという解釈で、システムはどこからどこまで関与しているのか。
と頭を悩ませながらシステムを解いている夢だった(笑)
起きてから、
それすらデータであると想って笑いが出てきた(笑)
今までのこだわりがちょっとずつ外れてて、
外れたから気が付いたんです。
それは仕事を通して、言葉に変えてこなかった事があったなと。
避けていた情報というか、触れてはいけないんじゃないかと想っていた事。
逆流させてはならないんじゃないかと想っていたから、
できるだけ言葉に変えてこなかった事があった。
逆流したって逆流し続けるわけでもなく、
それは時間の概念に捕らわれていたからだなと。
これもまたデータですよね(笑)
何年か前にもこういったデータというやりとりが流行った。
それをまた今ちょっとだけ視点を変え、
この動向を意識してみようかなと想っている。
人類が変化するのにどう関わってゆくのかなと想って。
そうしたら今日の墨絵教室で、
「意識するというのは細かく観る」という話になった。
そうしてゆくと存在感が変わるなという事に気が付いた。
下から覗いたドリームキャッチャー。