さいきんマダムKさんに料理の下ごしらえを教えて戴き、
おかずが食卓に増えると言う歓びを味わっております(笑)
あっという間に5月になりますね!
ほとんどどこにも行っていないで4月末まで来た感触。
FBで一週間ブックカバーチャレンジみたいなのがあって、今日で6日目のアップで気が付いたのですがわたしの持っている本って、生き物の不思議とか武士道とかちょっと外れた漫画と宗教的な本だなと言う事を改めて知りました。
武士道といっても根性論ではなくてスピリットというか、自分の世界を全身全霊一丸となって顕していゆくような本。
生き方の美学に反れてしまわないように精神を集中させる。
誰にとっての美学かではなく、本気の自分の美学。
自分にとっての約束みたいなもんですよね。
以前、甥っ子に何かあって約束をしんたんですが「約束しない」と言ったんですね。
なんで?って聞くと「守れる自信がない」と。
約束守らなくてもイイから約束してみようと言うと、
「や・くー・そーくしまーす」と言葉を切れ切れにして言ってきました。
子供でも約束という言葉の重みは味わうんだなと驚いたんですが、
自信がないから約束するという意味もわかるけど、自分にとっての約束があるとブレがすくなくなるなと想います。
縛る言葉にもなるけど、基準に戻る言葉にもなって、
約束は十字架にまでにしてしまったら呪いのようになるから、
そこまでヘビーではないけど。
何十年と生きていると若いころの細かな約束から、
とてもシンプルな約束に進歩してゆく。
約束の数が減るというか内容が複雑ではなくなってくる。
誰が味わっている人生なのか。っていう基本を脳や細胞が明確に自覚するまで、
言い続けなければ身体の境界線も曖昧で、特に日本人DNAってよく空気読むと言われているし誰かの意志まで組んで、こっち側の意志とあっち側の意志が見分けつかない事もある。
あっちもこっちも同じ事なんだけど、この世の法則として重いモノが下にくる構造の中で生きていれば、優先順位、順番は把握しておいた方が良いんだなと想っている。
前に墨絵教室で手本を観ながら描くんですが、まったく技術的にというわけではなく、手本帖ほどとおーーーい墨絵を描いてしまっていた。
何でだろうと想うと「順番にはわけがある」と先生は言う。
わたしは全体の墨絵を真似ようとしていただけで、順番なんて考えてもおらず目の前で先生が描いてくれるんですが順番を覚えていなかった。
順番通りに描いたら技術は別として(笑)立体的な墨絵に観えてきたんですね。
順番を無視したモノは全体がぼやけている。
何がメインなのか、どれ推しだったのかもピントが合わない。
陰ができる世界、眩しくなる時間帯などこの世には組み合わせがある。
先生が言う順番は立体的に描く基礎の事で、
それから植物を観る時や絵を観るときは順番を考えるようにちょっとづつなってきた。
わたし達は立体構造を捉えながら現実を産んでいる。
ぼやけた世界を生きるには必要以上に技術も居るし、眠らないと過ごせない事もある。
めちゃくちゃ眠たいモードですが、
寝ている部分に気が付きながら巣ごもり勤しんで参ります❣