雨や湿度でなかなか外に出歩けない日が続いております。
ネットフリックスtimeと読書time、ゲームtimeに漫画time。
肉眼を使う時間が多かった👀⚡
そんな中で、自分のペースとか出来ると想っていた事、他者から求められる事、
自分にはナチュラルすぎて得意とも気が付かなかった事を、改めて考える時間となっていました。
「好き」とか「嫌い」とかの区分けを根底から考えてみた時に、
ふと気が付いた事がありました。
これって一生好きでもなければ、
一生嫌いでもないという「時間」によって変わってゆくモノだと言う事。
まずわかりやす例えで、わたしは小豆が嫌いだった。
見た目も、味も、味付けも。
でも急に食べれるようになったし、めちゃ大好きになってた。
克服しようなんて一ミリも考えた事もなかったけど、
ある日突然イケるような気がすると想って食べたら「小豆の向こう側」に出逢えた(笑)
で、仕事の事も「わたしこの仕事好きなのかな」と考えたり、
迷ったりしていたけど、想い起せば「早く時間のコントロールを自分でしたい」とか「毎日電車乗りたくない」とか「朝起きたくない」とか「8時間労働とか泣く」とか「平日に遊びまわりたい」という、とてもわがままな動機でフリーランスに向けて転職を繰り返してた。
好きな仕事をしたい!という動機ではなくて、
自分都合のスケジュールで生きていきたいという事が動機。
で、いろいろな経緯があり今に至る。
好きでやっているのか、と聞かれると悩ましいけど、仕事のモードになると(スイッチ入ると)夢中になっているし、あっという間に時間は過ぎている。
8時間労働泣く、とか想っていたのに、イベントなどで8時間やっててもあっという間に終わっていた事も多々あった。
好き、嫌いの二元論で選んでいると頭が詰んでしまう事がある。
これもゲシュタルト崩壊と同じなのかもしれない(笑)
好きってなんだっけ、嫌いってどうするんだっけ、
好きだから、嫌いだから、それがどうしたんだっけ。と??になってしまう少し壊れたかなと想ったけど(笑)頭の中にある画像のパネルを幾つか組み合わせながら、
好きの事を想いだしたり、嫌いの事を想いだしたり、
どちらにも属さないモノを想いだそうとしていた。
むかしイラストレーターを副業でしていた時、あっという間に24時間経っていた事が何度かあって、その時が一番楽しかったなーと想いだした。
編集者の方から「徹夜するなら仕事はふらない」と言われるくらい、
バレバレの徹夜明けとかあって、でもこれは24時間やろう!
と決めていたんではなくてあっという間にそうなっていた。
そう想うと好きで仕事を選ぶというよりは、なんとなく自分にとって自分の全身全霊みたいなものが時間で図られる状態ではなくなっている事が一番喜ばしいな、と。
個人談。
自分の状態がどうであるか。というのをもっと興味深く観る。
好き、嫌い、という言葉で分けられた価値は不安定であるという事。
この二つの言葉に捕らわれてしまうと、正確な状態をバグらせてしまわないか。
という事。
過去を振り返っても良いし、その流れの中で夢中であった時間を想いだしてみる。
それが継続可能かどうかを考えてみる。
今日は7月27日の鏡合わせの日。
2を挟んだ7のシンボル。
連日のサブカル会議や読書timeを通して、
自分の根底、歓びの要素を探求した日になった。
これからもそういった日は続くけど、
一先ずの区切りというか整理を行ったという具合です。
時々、こういった状態の夢を観る事があります。
天地さかさまでわたしがふたつ。
普段の夢と違って、なんかリアルで驚いてしまう光景。
あれ、氏んだかな?と想う事もありました(笑)