きょう嫌われ松子の一生の話になった。
15年くらい昔の映画。
とても切なかったのを覚えていて、今日見直した。
やっぱりめっちゃ切なかったけど、あの映像だったから暗くならない。
が、メルヘン被せは閉鎖感を彷彿させ切なかった。
一生は一度きり。
良い時期に見直せたなって、思いました。
毎度言っている事なのかもしれないけど、やっぱり生きているなら楽しい方が良い。
楽な方が良いし。
だけど筋を通すところには筋をって思います。
楽というのも惰性とか妥協という観点ではなくて、より健全な思想を持てたり、日常に何か挑戦できる事が増えたり、出来る事が増えたり。
それが増えたとしても、物質が増えるわけでも、場所を取る事もない。
キャパが広く深くなって、自由度が上がれば、難しいと思っていた事がいつの間にか出来る事になって、そこからまた新しい難しいと出遭って、それらを吸収してゆく。
例えば墨絵を習っていても、筆の使い方や遊び方がなんとなく理解できてきたら、もっと何か違うモノを描きたくなってきたり。
そうすると一段えぐった世の中の見方や、四季の味わい方、自分の情緒が面白みになってくる。
自分流に生きるというと、何かバイヤスがかかっている気にもなるから、素直に生きてみるとか、素直に味わってみるというのが、わたしには良いのかもしれない。
ここ10日ほどで自分の過去の話をする機会があり、めっちゃ変わったな、成長してたなわたし!とわかる事もあった。
人と同じ事が出来なかった分、違う道を選ぶしかなかった頃は自分の事をポンコツだと思っていたけど、「楽しそうな人生だね、もっと自分も楽しんでみれば良かった」と言われた時、傍から見たら楽しそうに見えるんだなってはっとした笑
嫌われ松子は愛されてない、という思い込みから人生が激しくずれてくるけど、わたしもポンコツだと思って過ごしていた頃と何か被るものがあったのかもしれない。
いまはポンコツだとは思ってなくって笑
料理とか細かい事はめちゃくちゃ苦手なだけで、その変にセンスが働かないだけ。
それをポンコツだと言うかもしれないけど笑
不味ければ外食も出来るし、買う事もできるのでそのあたりは気が楽になっている。
いろんな意味で時短も選択肢も増えてきた。頑張る材料がどんどん減った事で、出来る事とやってみたい事に絞れる時代にはなってきた。
あとは本当にやりたいコトは地道に継続し、継続できた事から自分を浮かび上がらせてゆく事なんだなって思って、あとは文明の利器も使いこなせるように基本設定する。
じっくり読む事と知る事と調べる事。
わたしは絵を描きたいから、いろんな人の絵を見ていい影響を受けたい。それを続けてゆくと好みの絵や作家さんを知れ、そこからまたどんな世界感が自分は好きなのか、も知れる事になる。
そのバックアップ機能がプロテインなのではないかって思っている笑
エネルギーにすぐ変わるってでかい。
各々の人生にコミットするには身体や思考回路が健全/正常でないと、ぼやけてしまうし、何より集中力がなくなるのが早いし、諦めも、意志薄弱にも繋がるんではないかと思う。
意志だけでも難しく、根性論だけで押し通せる時代でもない。
ムム。
こういった事が適度な自己啓発と呼ばれてしまうのかもしれない( ´艸`)
これはただの脳みその声を文字化したものです。
自粛期間の過ごし方のお陰で、スケジュールの作り方が楽しい。
いろいろと大変な時期だけど、何かを選ぶ事に時間をかけて良い期間だからちゃんと使って人生と自分の見繕いなおしをと思っています。
PCの目の前にこの絵馬を何気に置いていた。
いつも目にするからなのか、夢の中で龍以外の動物が出演してくれた。
虎と亀の腹を見ながら、すげいぜ。。。ってうなっていた夢。
鷹は嘴と脚のごつさに痺れていた。
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