ここ連日、旧友とかとのやり取りの中で気が付いた事。
「同じルールで生きていない」ってこと。
今までそう思っていても、今の方がもっと「そうだ‼」。と腑に落ちている。
それぞれのルールを生きて、各々の体験を通して旧ルールの解除を誘発している。
結局、知識や情報だけではなんにも変わらずにそのまんま。
なまみのヒトに逢う、交流を持つ、心意を宣べる。
とか、こころのねっこ、思考のねっこを話すうちに楽しみ方が見えてくる時がある。
また、逆にこれでは自分は楽しめない。っと気が付く事もある。
まずそれに気が付く事が、人生の自由度を上げるコツなんじゃないかと思う。
割とわたしは自由という表現を使いがちw
縛られているわけでもないけど、何かしら不自由さを持っているんだろう。
当たり前の事ができない不自由さ、と、当たり前以外の事ができない不自由さ。
そこに縛られずに、どっちでも良いか、と思えるタフさが自分道には必要だw
生きるって根本的にその二つによって決められるものではないな、って思えている。
個人が自立していると、他者が楽しくなってゆくんだなって思える機会があった。
その生き方を見た時に、横隔膜がフルフルと震えたというかw
ちょっとその生き方面白そうだなって思えてw
自分の価値観をもっと太く、深くして生きたいなって思ってきています。
もっともっと孤立してみた事で安定してくるんじゃないかって、いま冒険していますw
既存の価値から離れ、もう一度、自分にとっての最高の歓び方とか楽しみ方っていうのを味わいながら、出来る事をやるつづけてみようと思ったら、仕事が楽しくなってきた。
仕事好きだったんだな。
って気が付き始めた2021年7/29で御座います。
妄想ルールから脱却し、意識的に、各々の心意と共に実像のルールへと帰還するw
ルール、ルールと書いていると、あれ?ルールって誰だっけ?
と若干ゲシュタルト崩壊チックになりかけたので、ルールという意味を貼ります。
ルール(rule)
※コトバンクより。
言葉によって作られてゆく世界、ヒトとヒトとが協力し合ってゆく世界、環境とヒトが共生してゆく物質社会にはルールが必要なのだ。
と言うと、言葉じゃない世界で生きている、見えない領域の事を引きあいに出して説教してくるタイプも居るw
別にそれを否定はしていないし、それもあるし、言語世界、物質社会にわたしたちは身を置いているので、身を置いている場所の事をないがしろにしてそっち基準をごり押ししないでほしいのだ。
そっちの結果、延長線上になるのが物質社会なのだ。
宜しくなのだ。
なんか変な愚痴っぽく聞こえたらごめんなのだ。
注意)バカボンのパパではないのだ。
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