♠SpaceOpera 的視点

夢観察師として夢の世界を研究中/夢解き

20211023の記録

前回のblogから2週間経っていたなんて。

 

特にインプットしながら過ごしていなかったので、抽出する事もないのですが、ここ数カ月ずっと自分の事ばかり考えていた。

そうしたらひょんな繋がりから、交友関係が広がったと言うか、開通したというかw

 

縁って個人ではコントロールできないんだけど、何が好きかとか、嫌いとか、結局うっすらした好みのを明確にしていく事で、縁の繋がりも太くなっていっているように思う。

 

今までは無意識で繋がっていた状態でも、無意識だからこそ、あんまり重要視していないとか、大事なポイントが不明瞭で後々、縁が薄くなったりとか。

そうやって巡ってゆくのが縁なのかもしれないけれど、これをもっと自覚的に捉えていった方が、より自分という活用の仕方や、相手との付き合い方や、距離間とかベストになってゆくのかなって思いました。

 

先日、ひょんな繋がりで出遭った人との会話中、何気にわたしが言ったことが自分でびっくりした。

それが「わたし友達になろうとは思っていなくって」って言葉。

もちろん急に放った言葉ではなくて、ちゃんと文脈があっての事なので、これだけ聞くと「は?」みたいになるんですがw

 

特に何もなく普通に、今度ごはんいこーって話になったり、自分の本音に近い部分で話していたからか、なんとなく黙認の間柄のような気がしているw

 

少しだけでも本音とか、曝け出しとかないと、人付き合いって困難だなって思います。

100%曝け出しは自分だけが気持ちよくなってる傾向があるし、100%潔癖モードで来られてもうんざりする。

 

友達って言葉で片付けられてしまうと、なんとも言えない責任感というか、任務的なモノを課せられているようで、わりと避けていたワードだったんだなって事がはっきりしたのでした。

 

「友達」って言うだけで、必要以上に繋がってしまう傾向があったり、思った以上に期待している自分がいたり、また期待されている事があったり。

できるだけソロ活動しておいた方が、わたしにとっては生きやすい方法なのだと思っている。

別に好き嫌いで選別しているのではなくて、友達認定になった途端、何して良いかわからなくなるからw

別に何もしなくても良いんだろうけど、友達って概念が強すぎたり、友達って言う表現方法がなにか窮屈な感触でいる。

 

それだけ概念に支配されそうな、よわよわちゃんっス。

 

この数カ月、自分にとってちょうどいいを探っていた時期になり、その流れの中で自分という個性なくして、やれる事ってなんだろうと思いながら、初期化している最中になっている。

全メモリーの初期化!って思ってみるけど、残るモノは残っていて、

それはわたしって「個」の好みとは、別の仕組みで求めて居るっていう感触。

それを個の好みでコントロールせず、別の仕組みに乗っかってみたらどうなんだろうか。

と思えるようになったから、何かしらの囚われからは逃れられたのかもしれない。

 

つづく。

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小学校低学年の時に、近所の3,4つ年の離れたやよいちゃんが、わたしに読んでほしいと持ってきた漫画本。

やよいちゃんはちょっと達観したタイプで「怒りの原動力は、、、」「緊張が満タンになると人の五感は」みたいな事とかをずっと言っていた。

今でいう富岡義勇さん的な女の子だったのかもしれないΣ(゚Д゚)

 

あれからずっと、この表紙がわたしの細胞に組み込まれてったようでしたw

30年以上経っているのに、ぜんぜん色あせない。。。

恐るべし。

 

 

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