何年か前に「死者の書」の展示に行ったことがある。
ここ数日その時に受け取ったイメージ画像を伝える機会が続いた。
その展示は、復活とか、蘇りとかだったのかな。
忘れてしまったけど、超絶クレイジーな展示だった。
調べても特に人生に役立つことはないだろう。
と思ってただ見学しただけ。
けどimpactとしてはけっこうな儀式。
ホンキで”呪”かけてるんですよ。
棺桶の蓋の裏、中、外。
そのカプセル入って、どっか中身?魂というのか、転送して、その間に肉体蘇生するみたな、、、。
いまそんな事として死亡届出さず『転生待ちです。』
って、言ったら捕まりますよね。
でもあの暗黒の呪詛wとか、あのモード?ムード?環境作りだったら、万が一のことを引き起こせるのではないか。と思わせてしまう。
可能性があるんじゃないか、って。
よく調べようとは思わないけど、ずっとひっかっかっていた光景。
英訳だと「book of the dead」
本に書かれてた通りにするのは儀式的なことまでで、それをやったことで現実空間がどううねったか。
どんな結果がどんくらいの期間で誕生したのか、しなかったのか。
そんな世界感もあって、本気で取り組んでいたいのちの巡らせ方。
この時代の夢の話も面白くて、それもホンキで現実に取り組んでいたり。
あの世とこの世、夢と現実が今ほど区分けされてなかったんだろう。
あの世と夢の空間って、最後の手とか、ここになければそこからのアイデアを調理しろって感じの夢の読み解き方だったり、夢のお告げみたいなのをそのまま活用したり。
バッドマンのダークナイトライジングの地獄の住人が「あっちとそっちって何が違う。お前がそれを決めてるだけだ」というようなセリフがあったんですが。
これも要所要所で思い出す言葉。
けっきょく地続きで、わかれてもないんですよね。
使えないと思っているだけ、とか、使い方がわからないとか。
こういうの、ちょっとカジュアルに信じてみて、遊ぶくらいの気軽感があった方が人生楽しめるのかもしれまてん。
さいきん、もうちょっとちゃんと遊んでみようかなって思えるようになりましたw
平常時がウツみたいなもんなんで、ちょっとしたことが面白いんです。
よくバカにしてるのか、って言われてきましがw
深めたいところと、そうでないことの気持ちの分散と、フール使えるようにしておくって事が可動範囲を変えてゆくのかもしれまてん。