ときどき、同時存在の自分と交差することがある。
先日のセッションの時、わたしの同時存在というわけではなく、相手の同時存在がコネクトしてきたことがあった。
もちろん同時存在なので、肉体がこの世に在るケース。
(文字にするとやっぱりあたおか系だなって思うのでw嫌な方はスルー下さい♡)
同じ地球上に同じスピリットを分け合いながら、別の国や種族として生き合っている。
こういった現象をなんと言うのかな?
ドッペルゲンガーとは違ってて、グループ的な動き方。
1対1の場合もあれば、1対複数ってのもあって。
なんでそうなっているのか不明だけど、1つの生命のみが存在しているってことは珍しいのかもしれない。
逆かなw
多次元に存在する仲間とかはよくあるけど、同じ時代に同じ地球上で、同じような時間時軸で、別の国籍で別の宗教観を持って、片方はわからなくても片側は認知しているのもある。
ちょっとだけ橋渡し的なことになったけど、わたしも含めて創造的に暮らすってやりすぎると脱線街道えぐいから、気を付けないとなと思う。
少し思考のネジを緩めたり、チャンネルを変えてみると現実の見え方も変わってくる。
創造的っていう言い方が的を得てないのかもしれないけど、理屈では収まらない現状とか、タイミングとか、ヒト、モノ、場所との出遭い方とか、導かれ方、誘われ方とかある。
そんなモノで構成されてるのが、もしかしたら普通とか日常なのかもしれない。
肉眼とか教えられた常識で図れないから、自動的にカットしていて。
こういった内容がセッションで出てきたからと言って「で?」ってなるので、特段推してはいなかったけど、まーまー隠せないくらいの雰囲気で繋がってきたり、そういった流れになるのが増えてきた。
ほんとに地下世界ってどうなっているんだろう。
そんな話って自分の人生に役に立つのかな。っと合理化を求めて排除しがちだけど、あそびごころを持って話してみるのもありなのかもしれない。
と、最近思い始めた。
先日の講評会の時の参加者さん達の意見とか、アドバイス的なものとか、自分が描く世界感を語っている様子を観たときに、わたしももっと自分が何を観てるか、ピントが合いやすいかとか。
イメージをもっと許してもいいんんだなと、思えたのも引き金にはなった。
現場から学ぶ事多いし、現場でないと腑に落ちない事もいっぱい。
これからは、そういったモノも取りこぼしなく拾ってガン見、吟味していこーと思っております。
時々思い出す映画。
長かったのもあってまだ一度しか観てないけど、これ前世とかじゃなくて並行的な感覚がある。
鏡面の世界と似てて、反射しあって調整している感覚。
これ観終わった時は、本当にそれぞれの人生に「お疲れ様でした」と思えた。
音楽が良くって聞き始めると、いつ終わったかわからないくらい自然と一体化している。溶けた?って感じw
spaceopera13seed.hatenablog.com