最近まで家作業が続いて、引きこもり日が続きました。
昨日から電車乗って、町散策が戻って来た。
引きこもり日から抜け出たのは、最近明晰な夢が続いたから。
場所、言葉、光量の感覚。
あの駅だった。
あの場所だった。
あそこから観る景色だった。
というのを辿ってきた昨日と今日。
そうするとデジャブと、現在が重なるのか。という行動。
この二日間の体感としては、現在の背景に出て来るモノは違っていても、
マス目というか方向的な地図が夢と現在で重なって来た。
夢の中で「夢を平仮名に直してみる」という問いかけがあった。
「ゆめ」
カタカムナ的に読んでみようと想うと、「ゆ」は湧き出る。
「め」は指向、思考、芽。
夢は現在に方角を与えたり、平面図を動かす為の活力、
育てるための栄養源という空間。
ちょっと想いだしてくるのが、千と千尋の神隠しに出て来た釜爺。
症状に合わせて生薬を選んで渡しているところ。
お湯に入るヒトがどんな状況であるか、どんな具合になりたいのか。
明確にわかったら、釜爺が生薬を選んで渡してくれる。
そこが夢の在り処と似ているような気がしてきた。
夢見ている本人も、どうなりたいかがわかって居れば、
夢の調合が始まり、寝ている間に「生薬」での調整が始まる。
あとは起きてから、流れに流されず1,2分でも夢の回帰を計れば、
現在でのヒントと照準が合いやすく成る。