ここ数日で、いろいろと気が付いた事があった。
丁寧なくらし、丁寧な想いとか、じっくり吟味する行為は時間の概念が介入して居なかった事。
三次元的にみたら、それは数分、数十分、
数時間、数日、数年と換算されるのだろうけど。
内容としては永遠的な至福。
墨絵を通してからというもの、
また始めた時から、生き方の手本にしたい方との巡り合わせが続いている。
どの方も時間を重ねる歓びや、すこしづつ集める歓び、待ち遠しい(至福感)=充足感と繋がって居た。
戴いた着物をたとう紙から拡げ観た時、反物からじっくり選ぶ、それから寸法とか、
長襦袢に帯、帯締め、帯紐とか、バッグどうしようか、髪はどうしようか。
ときっとあらゆるイメージがフル回転になっただろうな。と想えたり。
これだけは自分の歓びにしておきたいというような、切なる想いが出て居たり。
そういったフル回転のイメージには、
三次元的時間では観測できない膨張した時間枠なのかな。
いっこいっこ観る技術、感性、配慮、気配り、気づかい。
色っぽいです。
せめて、というか自分にとっての良き先輩、友達、仲間、仕事関係。
大慈に続けても往きたいですし、お互いがそれによって行動力や、
決断力が育つような関係性で続けて往きたいです。
良い先輩を観ると、きっと眼も肥えますし感性も肥えます。
以前、墨絵の先生からデッサンの仕方を教えて貰った時に、モノの観方がわかって観るチカラに栄養が与えられたように観じました。
師匠、先輩、仲間、友人は選べますし、
そういった人たちから選ばれる自分でもありたいです。
お互いが循環して往く関係性。
それは別にずっとくっついているのではなくて、
何年経っても何十年経っても変わらぬ間柄。
時間を超えた間柄ですね(笑)
対面した時にお互いの時間が巡り出す。
業務に戻りますm(_ _)m
※写真と内容は無関係です。