メモリーのリセットのような日だった。
朝から、わたしは誰の生まれ変わりだったっけ?
と陰を探すような時間がしばらく続いた。
いのちの延長ってどんな事だったんだっけ?とか。
肉体の先祖の末端ってどんな事だったっけ?と。
メモリーリセットなんだろうけど、消しきれてない面影があったから、
多分記憶の余韻のようなモノをずっとリサーチしていた。
用事があったので浅草に行って、とても可愛い水色の大きな達磨があったから写メを撮ったら携帯がおかしなことになった。
一応、このブログに写メを貼り付けているんだけど、画像としては真っ白。
携帯壊れたかな。
と焦りながらビルのトイレに入ったら、ちょっとオカルト的に(;゚Д゚)
幾つかの手洗い場の水のセンサーがサーっと反応して、水が流れ始めた。
何が反応しているんだろうと、
暫くトイレとか手洗い場散策したけど特にわからず。
ぞろ目になるまでの段階と似ていて、
数や状態が整うまでこういったわかりやすい現象って起こりやすい。
考えている以上に知らない、生体反応、身体と自然現象の化学反応みたいなモノ。
考えて観えてくる事と、瞑想状態で抜けるところと、行動を通して得られる事と、
身体と言うのはどれか一つではなくて、どれも通してリアルを知ってゆく。
そんなこんなで、朝からの宿題みたいなモノを解こうとして、
何気にテレビをつけたらNHKが付いていて「愛はアナログ」だ。
と言っていた(笑)
暮らしもアナログだ。
むかし友人がPCが壊れたと言って、
シャワーで洗って天日干ししたら回復したと言っていたのを想いだした(笑)
結局のところ、デジタルもアナログでしかなおせないとも聞くし。
潜水艦作っていた知人も、最終的には個人の感覚でズレを整えるといっていた。
しかも紙やすり(笑)
わたしたちは想っている以上に繊細なつくりもんだ。
これをもっと深めたり、
理解する事がとても大事な時期にきているような気がしている。
↓本当は水色の大きな達磨が映っているはず(笑)
観えたらすごい!!↓