長崎の諏訪神社の方に予定があったので、
ちょっとその界隈を急いで散策してけーってきました。
教会のお土産屋さんみたいなところで、パッと目を引いた絵画。
「結び目を解く聖母マリア」というタイトルでした。
絵の背景に描かれているステンドガラスのようなものと紐。
マリアさまの紐と繋がっていているように観え、凄く美しかった。
(これは現物ではないので、ネットで探して張り付けています。)
この後に本物の「無原罪の御宿り」を観たのですが、
三つの誓願「清貧」「貞潔」「従順」を結ぶ紐と書かれている所がありました。
わたしは観る順番が逆からになってしまったけど、
と裏と表をその1時間くらいの間で知る事になりました。
予定なくみつけた絵画だったのに、偶然にも謎が解けた事に驚く。
始まりがあれば終わりがあり、裏があれば表もあって。
ひとつのものは3次元に存在できない。
と、いう事をここでも想いだされたようでした。
面白いですね、宗教画に答え合わせがあってちゃんと観て往けば繋がっている発見のようなものがあった。(念のためわたしは無宗教です)
26聖人の資料館にも確か「αとΩ」という部屋があった。
終わりと始まりの場所。
今回の帰省は、
いろいろな時間が紐解かれ閉じられたような気がします。
そしてまた新しい紐が解かれ、閉じるための流れもある。
時間の収縮運動ですね。
身体はそれを体感していて、次の展開を生み出すための地図みたいだ。
道中、こころから湧き上がるものが幾つかあった。
身体に染み付いていた本心。
これはわたし個人のものとは想っていなくて。
生きることは成仏と供養がセットで、想う事も観じる事も成仏と供養になって。
それはわたしの供養でもあるけど、記憶の供養も歴史の供養にも繋がっている。
だからわざわざ浄化するというよりは、
一生懸命考えて、笑って、怒って、
泣いてという感動さえしっかり当たり前にできるようになっていれば、
それほど心配しなくてもいいんだろう。
あとどの価値観で生きるつもりでいるか。って事も大事だと想います。
憧れも尊敬もしない価値に寄り添って、歩み寄って暮らすのか。
そこはもう諦めて自分の生き方をコツコツと構築し、
価値とか実感とかを改めて入れ替えて往くのか。
入れ替える事ができるのは、今までの経験と実感があったから入れ替えようと想う事ができて、新しいコースへと移ることができる。
新しいコースがあったから、そこに繋がるための流れがあって。
帰省の旅にいろいろとあるけど、毎度出来事の濃さに現実感マシマシです。
追い現実。
おいがつおみたいに言っています(笑)
教会で読んでみたくなる本。
ステンドガラスが太陽の満ち欠けによって、ちらちら入り込んできました。
ちょっとだけボーダレスを想いだす時間でした。
猪子さんと宇野さんが語らった4年分の会話集。
一度目はさらりと眺める感覚で止めておきました。
二度目はじっくり読もうと想い、読み場所を楽しんでみました。
お二人の観るチカラとか、考えるチカラとか、未来に繋げる導線の作り方みたいなをイメージしながら読んで往くと、なかなか進みません(笑)
話が速い。本なんで速度なんてこっち都合なんだけど、内容というかやっぱりバキバキのキレキレみたいな印象なんで、わたしがわもバキバキ影響を受けてきます。
人類にはまだまだ奥があると想えるし、
奥にあるものを真剣にひっこ出してゆけるようリハビリに勤しみます。
いまのところ飛行中、教会はいい具合に読み進められました。
蛇が通ったような変な後が('Д')‼
綺麗。
💚SavePoint2020受付開始しました!