先月末からひまし油パックを始めてる。
2週目を巡ってから、臓器に沁みついた人間的歴史のドラマを夢を通してみている。
肉眼で捉えているだけが現実ではなくて、
背景を含めた現実が身体に通過していたり、
留まったりしてバグっているんだなと想う。
背景の濾過ができなくて、残っていたものを粉砕しながら体内に出すとか、
蒸発させるような働き方なのかなとか、当時は理解できなかったけど、
現在理解できるくらいになって内観的に観えるようになってきたとか。
ひまし油パックをあてる臓器の場所によって、夢の観方が違ったり、
各臓器の癖みたいなのがあるような気がしてきてる。
統計的になるけど、ある程度の癖の見極めができると面白い。
そう想うとわたしたちの個人的なモノや、ボディーが夢を放出しているというよりも、
食品とか体内に入れたものが夢として顕われている事がある。
情報と食品。何を話しながら食べてるとか。
どこで食べているとか。
消化できなかったモノが体内でドッキングしてって、不良化した夢とか。
めちゃ怖かった。肝臓の夢。
不思議。
身体の観えてる部分(表面)だけで処理しているわけでもないし、しっかり身体と内臓と一丸となって処理しているんだなと想うと、身体の仕組みって高度な文明だと想う。
なんか変だなと想ったら患部に手を当ててみるとか、アツい!と想ったら身体の一番体温が低いところに手を持っていく習性とか。
知らぬうちにわたしたちは身体の本能的なところ、
メインアンテナを侮っていたり、疑っていたりする。
そんな話をpちゃんとしながら浅草散歩。
なみさん、最近楽しそうだね!良かったね!と言われた(笑)
最近、良い大人達と交流がとれるようになってきたからかな。
というと「どんどん楽しくなってゆくっていいね、わたしもだんだん自分でいいんだなと本当に想えて来てる」と返ってきた。
良い大人というのは年齢とか肩書とかではなくて、ヒトとして尊敬できるヒトや、
何か学びたいな、とか自分の行動範囲や可動域を増やしてくれるヒトを言っています。
だから凄く若い子も居るし、お年を召した方も含まれている。
先日のかいじゅうのすみかに行ってから、
本当にあの空間とかあの時代に受けた影響が凄く楽しかったんだなとしみじみと実感し、楽しむ事がどれだけ生き方を生々しくするかって再発見と自覚になっています。
楽しかったからそこで黄昏てばかりいるんじゃなくて、
あれがあったからより今を工夫というか、
あれがベースとなって現在をリフォームしている感覚。
まだそれははじまったばかりですけども。
日常でしか味わえない世界感と、
日が昇り、陽が沈む流れの中で巡る出来事の味わい深さ。
そんなのを想い巡らせながらひまし油パック(笑)
人生の浪漫をベースにしながら、
再び我が道を歩むことで報われてゆく過去があるのでした。
※これはおいおい”夢”pediaに修正しておこうと想います。
Pちゃんと行った浅草の麦とろバイキング。
まる、さんかく、ろっかく。