こんばんは。
ワークショップありがとうございました!
塗り絵で色々なことがわかるんですね。
まず家にあった色鉛筆、色が薄くて塗りづらそうでいまいちだなー
「それなりにできるから問題ない。むしろこれを使うことが最終的
塗りはじめてからの「5色だけで表現できるところまでやる」とい
今あるものを最大限に活かして
ここはもう少し身軽にというかサクサクと一番ベストだと感じるも
欲張
塗りながら、塗り絵の過程を人生に例えてみると、自分では今後ど
全くどんな仕上がりになるのか予想できない状態でも最後は納得の
先が見えないということが自分が進んでいくにあたって何の障害に
先が見えないと進みづらいという思い込みが破壊されましたよ。塗
そもそも先なんてないというか自分で歩んだそこが先になるわけで
あとは、時間内に完成させるということと、最後にバランスをとる
心のままに楽しみながら歩んでいけば最終的にどんな形になっても
塗り絵あなどれないですね!
楽しかったです!それではまた
その後----->>>>
ワークショップから一日経って、感じたことを書かせてください!
既知ではなく未知を歩むには、自分のコアな部分だけ認識し、思い
そのときに世間の正解はもちろんだけれど、自分にとっての正解(
想像力豊かでどこからともなくイメージが湧いてくる人はそれを元
瞬間瞬間に創造されていく、生まれていく感覚がリアルに残ってて
なみさんもブログに書かれてましたが、未知を歩んでいった先にあ
ふぅー、スッキリ。
読んでくれてありがとう
★Nさん、ありがとうー!!
Nさんから戴いた感想を読みながら、更に落とし込めている状況です(笑)
冒頭の「意味のある発見」というワードも、意味があるもんだ。という想いこみだったり、意味がある事に価値をおきがちなのもあるなと気が付きました。
たぶんそうした方が頭脳的に、ボディー的に、思想的に救われるんだなと想ったのです。
意味がある事=価値。みたいなところもあって、意味がない=無駄。という考え方になりがちなんだと。
これって例えば何度かぬり絵とか、植物を枯らすとかデータとってゆくと無駄がないと価値が発見できないなと想えてきたのです。
一回しかしないから「無駄」にしやすいのかもしれない。
もしかしたら無駄な事をずっとやっていると、それってある意味アートとか芸事に繋がる事なのかもしれないな、って、やり続けてみた事で新しいジャンルが立ち上がったりできるのかもしれない。やるかやらないかは別として(笑)
結果を観てそん時に自分自身がどうなっているか、とかその時の自分に合わせた歩み方が新鮮な状態なんだなと。
Nさんの場合、予測とかするんだけどやっぱりその時の瞬間に共鳴して座標軸を作りかえているような気がしたぬり絵だったな、と想いました。
話している時もそう想うし、メールでのやりとりの中でも都度更新しているような感触です。
だからかな(笑)既存の生活感が観じられないというか、もちろん日常生活は確実にされている方だというのも知っているけど、人間臭みたいなのがないような気がしました(笑)
>先が見えないということが自分が進んでいくにあたって何の障害に
これってめちゃイイ具合ですよね!薄々観じていた事をちゃんと言葉に替えて誰かに伝えてみる事で頭脳も身体も理解深めて現実味を帯びてくる。
自分だけで終了させないって事が大事なんだなと想うし、幻想とか遺伝的な思想や、自分史を塗り替える行為/厚意だなと想っています❣
やっぱり体験を通して得られる事が深いし、速いし、半永久的に刻まれるような気がしている。聞いただけとか見ただけというとよく覚えてない事も多いし、感覚と体験が繋がらないからピントが合わずだったり。腑に落ちず不完全燃焼、または消化不良のままになってしまってる。
やっぱりアナログですね(笑)
あと時々はナマミのヒトと逢って温度感を観じるという事で、言葉以外の安心だったり次に繋がる勇気になったりするな、とナマミの世界の活かしあいを学んでおります❣
いつもありがとう!!Nさん!!