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音叉チューニング5月のテーマ

 

今日は久方ぶりの方と電話セッションでした。

 

始終出てきた言葉は

「今までのやりかたでは超えられない」という内容でした。

今まで通りにやり過ごそう。と、

ながら生きをしていると、どこも通れない現状が出てきていた。

 

人間概念が作り上げた宇宙情報に加担ばかりして、

目の前の事や人生の醍醐味みたいなものを疎かにしてしまっていた。

そういった流れでした。

地上での生活に馴染めない=人間は低能。

宇宙人やチャネラーを聡明だと、あがめ奉っている図式。

そういった人間的マインドを育て続けていた。

 

そうやって人間より宇宙人みたいなのが利口だと想い続け、

自分を下げて見積もって居たり、

下げてるつもりが「その良さがわかる」という自分の自意識を上げ続けてヒトに馴染めずにいた今まで。

 

を伝えて観ました。

 

納得していました。

まさか自分のマインドがすべてを邪魔していたなんて。

という言葉が返ってきました。

 

持ち前の感性の良さや、

美意識の高さだけが物事をアンバランスに観ていたんだと想います。

 

暫くしてすぐラインが届きました。

 

以下引用↓

セッションが終わってでかけたら、クレープ屋さんがおまけしてくれたり、

車が水がかからないように避けてくれました。

感謝を観じたり、嬉しかったり。びっくりです。

 

例えば宇宙意識と名称した、肉体に要求しているパワハラ(笑)

人間とか肉体に過度な要求が多すぎて、肉体が告発しているような状態。

肉体に求めているのは、宇宙意識とかと言われている事ではなく、

自身の手間を省きたい自我の要求。

 

想った通りにならないからダメという稚拙な判断力。

そういった事も伝えました。

 

わたしも墨絵の世界に入ってから、

根底的に叩きのめされています(笑)

 

先生が生徒さんに言っていた言葉。

「あなたの気に入らない結果になったとしても、やり続けなければならない」と。

 

これは私の中で生まれ変わる事が出来た一つの言葉です。

 

結局そう伝えられた生徒さんは、

やり続けた果てにとても渋い椿を描きあげました。

あの時続けなければ、

その作品は世の中に生れていなかったです。

 

信じられる、信じられないという話の聞き方や情報の得方でなく、

聞いてやってみるしか方法はないです。

暫く続けて観て、

それでもわからなければ他人が自分をみて何か変わったね。

と、言ってくれるかもしれません。

 

昨日行った酵素風呂ですが、家にある鏡と他所の場所にある鏡は、

同じわたしを映していないと気が付きました。

 

自宅の鏡はわたしを甘やかしている(笑)

1、2枚のキラキラ効果が促されていると。

わたし仕様の鏡に育っているんですね(笑)

 

そこ別の場所での姿見を観た時に、、、。

時が止まるくらい驚いた。

自宅だと鏡がどこにあるか知っているから、鏡の前だけは無意識ながらも背筋を伸ばして居たり、カメラ目線のような観方になっている。

 

他所だと気を抜いた時の自分が、抜き打ちでみせられてしまい。

真実の鏡はこれなんだ。と唖然💦

 

どういう事かというと、自分で自分を観ているうちは超えられないと想ったのです。

贔屓、過度な労い、みたくない時は鏡がある場所を知っているので意図的にみないようにできる。

 

他所の鏡(他人という概念を使わせてもらいます)で、

目の当たりにしたら否が応でも感情や肉体部分での動揺は起こる。

 

この動揺が起こってから初めて手段が観えたり(笑)

決意が決まったり、ああはなるまいと誓えます。

 

世の中の情報に潔癖に成ればなるほど、

生きる深さは浅いままなのかもしれません。

 

いろんな生き方があるし、見繕っている内容もSpecも様々です。

同じことを自分以外の人体に要求していくというのは、

それはそれで戦争を始める気かなと想う事もあります(笑)

 

地球上にはびこっている宗教観で例えるわけではないですが、

それぞれの人体が持っている宗教観はみんな違うと想います。

 

70億人いるなら70億の宗派がある。

 

そういった流れでセッション終了後、テレビを点けたら。

「プレイススタイルを変えました。今までのプレイの仕方だと勝てなかった。

今までのプレイを今やり続けるなら、守りのプレイとなって勝てない」と卓球の解説者が言って居ました。

 

守りから攻めという発言もしていましたが、

動かそうとしなかった自分が、

これから世の中に対して交流を持とうとするという事にも似ているなと想います。

 

思想の差をとってゆくと共存や共鳴は起こりやすく、

共振の場に気が付くと自我の部分は安心すると想います。

 

どこの思想をどこに要求しているのか。

結局自分のテリトリーにしか響かないので、自分が一番苦しい環境をつくって往く。

 

こころの傷というのがあったり、

過去のショックがいまだに身体に残っている場合もあります。

 

最近気が付いたのですが、

癒しというより寄り添う事の方がとても人体やこころには栄養になるのかなと。

わかってくれるヒトがいると想うと勇気になりもなりますし、何より安心します。

 

これは超個人的な事なので、誰しもがそうかわからないですが。

痛いと想った、悲しいと想った、怖いと想った事を否定せずに、

その想った事に寄り添う事も共存であって、

何かを起こすとか恐怖や不安を敵にするのではなく、

その想いに気が付いているわたしが居るという観点も意識として立ち上げておく。

 

一番ダメージ(喜びも悲しも含めたモノ)観じているのは、

本体ではなく末端の部分です。

末端が不具合なら、末端でできる環境づくりを末端自体が選んで往く。

ヒトが動かせるところと、ヒト以外が動かせるところの違いを明確にしておく。

 

気が付けば10月意外にも、

5月はスターゲイト的に「ゼロ」が付く日に目が留まる。

根底、データベースの大掃除になりやすいのかもしれません。

 

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それプレスリーの十字架じゃないですよ(笑)

いつかどこかの十字架を背負ってしまっている。

本当に生きたかった世界をちゃんと作ろう。

それには根気も継続力も当たり前で、

ヒトと仲良くできるような自分にも育っていないといけない。

 

ウシジマ君を観ていた時に、

人生最悪の時に立ち会ってくれる仲間は何人いるか。

自分が行ってきた動向がはっきりします。

信頼関係はヒトの世界でつくる事。

それ以外のところは、なんらそんな事も問題ないくらいに平常運行しています。

ヒトの世で出来る事。

 

長くなったので急ですが終わります。