日差しが強くて、日陰生活のアップデートを考えております。
先日10年ぶりくらいの方とzoomセッション会。
お互い当時からやっている事は変わらず、本筋から離れる事なく過ごしていたね。
という話になっていました。
脱線はいくらかあったものの、本筋があったからこそ脱線できて、
更に本筋の強化や密度マシマシになる為の流れだった事や、本筋のバリエーションを増やしたり、更に本筋を深堀してみる事で自身の興味がどこにあったのか。
という解明に繋がるような話になりました。
人の縁とか再会とか、偶然というのは個人レベルでは操作できないので「たまたま」という機会はできるだけ大切にしたいな、と改めて想いました。
別のグループ会議にも参加したのですが、
やはりそこでも「個人パワーをあげてゆけ」という話にもなった。
個人パワー、生命の基礎力というか、創造力、好奇心、わたしたちには自分でもコントロールできない基礎の冒険心みたいなのがある。
そこを社会を通じて理性で抑えたり、教育や現場、人との出遭いを通じてオリジナルの冒険心や好奇心を価値に変えてきたところがある。
ナチュラルな冒険心のままだと、野蛮なままだったり、共同で生存しているところでは他者に恐怖を与えるだけで終わってしまうケースもある。
人や時間、時代を通して研磨されてゆく個人の感性が野太くなる事で、
その人特有の価値(わかりやすく言うと)が顕在化され、周りにも面白い影響力となって波や共鳴が生まれイメージの決行が始まるような気がしている。
と、言う事で(笑)
各々の好奇心、冒険心をフラッシュバックのように想いだす時間を充分にとっておく必要があると想っている。
自分が関わる人生の為に、自分が自分の人生に参加する為に。
むかしガンダムのマスターグレード版のプラモデルを必死になって作っていた時期があった(笑)
子供の頃の単純な前と後ろをくっつけるだけのプラモデルではなくて、
間接がいっぱいあって、細かな留めがイライラするぐらいあった。
その時に単純なモノはつくるのも速いけど、動かすところが限られていて、
完成しても観るだけだったので、弟とジオラマ風にして背景で遊ぶ事が多かったかなと想う。
モノとしての表情というか、佇まいが単なる箱的なモノだったけど、
マスターグレード版は無機質なんだけど細やかで動きとしていろんな角度を作ってひとりで遊べた( ´艸`)わざわざ背景を造り込まなくても単品で魅力的だった。
人の世界というか、人が居る世界というのは、
縁の接続が幾つかあって動いてゆける場所で、自分という個の空間にエネルギーが注がれているように想う。
だからどこに居る、と、より自分に興味が持てるか。というのはとても大事な事。
自分自身に興味のスイッチが入らないと、
外の景色はただぼんやりしているだけで照準が合わない。
ナマミで生きている事で感受性が痛いモノに変わったり、触れたくないモノとして感知したりするときもあるけど、ナマミのアンテナとなる感受性に刺激を与えてゆく事が実働の基礎代謝をあげる。
自身の好奇心を深追いする事が基礎力というか、生存力、創造力をタフにするんだなという事に辿り着いたような気がしている2020/08/4。
…。
ナミ日記より。
京都、権太呂の鱧鍋を食べてしまいました。
鱧だけでなく、野菜もマロニーもめちゃうまでした。
餅麩、つゆなんて、最高です。
時々、めっちゃ美味しいの。イイですね!!
つゆのいろ。
久野 九平治も戴きました。。。
濃く、濃くと濃い味でおかずなんてちょっとで良いくらい高級味でした💚
こちらも、たまにはいいですよね( *´艸`)